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劉備に仕える最強の男たち

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tamagocchikunです。

 

赤壁の戦いによって、曹操は大敗を喫しました。この後の曹操の動向、そして連合軍を結成した劉備、孫権はどうようになったのかをみていきましょう。

 

 

荊州は誰の手に・・・

 

 

まずは、劉備と孫堅の赤壁後の動きを見ていきましょう。

赤壁の戦い後、劉備は荊州を支配します。これには呉の武将である魯粛の提案であり、孫権もこれを受け入れました。実際には支配というよりも、劉備がいったん荊州を借りるという感じでした。

 

曹操に荊州を奪われてしまうよりも、劉備に支配させておいた方が、呉には得策であるという考えもあったものと思われます。

ただ周瑜は、劉備の勢いに関して非常に大きな危機感を抱いていました。そこには孔明の存在が大きく影響しています。

周瑜は、劉備、孔明の存在をこのままにしておけば、呉にとってやがて大きな脅威となってしまう・・・劉備の暗殺を考えるようになりました。

 

ただ周瑜は赤壁の戦いでけがを負っていました。その後も呉のために自分自身を酷使したために重い病にかかってしまい、ついに回復することなく36歳の若さで亡くなってしまいます。

 

劉備は今まで流浪の身で各地を回ってきましたが、ここに自分の領地を得る事できました。

 

劉備に仕える武将たち

 

 

この頃には、関羽、張飛、趙雲、孔明だけではなく、後の蜀を支えることとなっていく、数多くの武将が劉備の元に集まっていました。

ここでは劉備に仕える武将を少しご紹介しておこうと思います。

 

黄忠

 

劉備に仕えた武将。武勇に優れており、弓の名手として描かれています。また老将としても描かれています。マンガやゲームでは、真っ白な長いひげを生やした、屈強なおじいさんとして登場している事が多いです。

 

魏延

 

劉備が荊州を支配する頃に配下になったと言われています。

劉備からはかなり信頼されており、この後のお話しでも出てくる重要拠点を任されます。

性格的には、自分を高く評価してしまう人物として描かれている部分があります。

 

馬良

 

魏延と同じく、劉備が荊州を支配する頃に配下となったと言われています。

文官として仕えました。実際に馬に乗って戦場に出るのではなく、官僚ととらえて頂ければと思います。

非常に教養が高く、孫権への使者も務めた人物です。

 

このように劉備の元には続々と優秀な人材が集まってきます。

 

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益州の劉璋

 

劉璋は益州を支配する君主です。益州は良質の鉄などが採れる産地でした。

以前は曹操に贈り物をするなどして懇意にしていました。曹操も劉璋を敵に回したくはありませんでした。劉備や孫権を敵に回したくないからです。

ところが赤壁の戦い前、荊州を取った頃は曹操は傲慢になっており、劉璋の部下に失礼な態度をとります。

 

それ以来、曹操とは距離を置き、劉備に近づいていきます。そして劉備を益州に迎え入れる事にしました。

劉備は、益州を奪う気はありませんでした。孔明の説得もあったことでしょう。

劉璋の部下も、劉備の方が統治者としてふさわしいと考える者もいました。

 

そして、劉備は攻撃をしかけ、益州を支配下に治めます。

 

ここおいて、ほぼ三国時代が固まってきたといえます。