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劉備、再び家なき子となる

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 どうも、tamagocchikunです。

 

この頃、劉備は何をしていたのか?劉備の視点でこの時代を見ていこうと思います。

 

 

・劉備、放浪の旅

 

反董卓連合軍に参加した劉備でしたが、乱が鎮圧された後は各地の君主の元を渡り歩いていました。

公孫瓚や孔融、陶謙などの君主たちの元を渡り歩いていました。

ところが陶謙が病死し遺言で「徐州を治める事ができるのは劉備しかおらぬ」とあり、陶謙より徐州を引き継ぐ事になりました。

これで劉備もやっと城を持てる状態になりました。

 

ところがこの状態は長くは続かなかったんです・・・

 

ある戦で劉備が出撃した際に、その留守を狙って呂布が徐州を奪い取ってしまいます。

 

またまた流浪の身となってしまった劉備・・・

次に身を寄せたのは曹操でした。

 

曹操・劉備連合軍は呂布に攻め込みました。水攻めにより兵を動けなくし、少しずつ兵隊の士気を奪っていきました。

もし呂布が人望があり、忠実な人であればここでの展開は変わったのかもしれません。

呂布はどうなったか?

結局は部下に捕らえられて、その身を曹操に引き渡されてしまいます。

 

呂布を処刑するかどうかためらう曹操・・・

劉備が「こいつは、主君を次々と裏切ってきたんだぞ!!」

この言葉で曹操も決意しました。ここで呂布の人生に幕が下ろされました。

 

 

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・その後の曹操と劉備

 

 

曹操は劉備の事を特に気に入り自分の近くに置くようになりました。

当時の曹操は帝の近くで仕えており、身分も高かったです。曹操は劉備に対して高い地位を与えました。

 

曹操は、劉備を区別することなく、食事も一緒、みこしも一緒に乗るというような事をしました。

 

実はこの頃に、重大な内容が劉備に入ってきます。

 

帝から

「曹操を討て!!」との密勅が下ります。

 

帝は普段から、曹操の言動に対して良い気分ではありませんでした。

曹操は帝に実権を与えずに、朝廷を自分の欲しいままにしていました。

このままでは漢王室はどうなってしまうのだ?という気持ちもあったでしょう。

 

劉備も漢王室を自分の好きなようにしている曹操に対して、嫌悪感を抱いていました。

 

で、この密勅の内容が曹操にばれてしまいます。

曹操は、劉備をこのままにはしておかないでしょう。

 

劉備は、機を見つけて曹操の元を脱出し、徐州に戻ります。

しかし、曹操が攻め込んで来て敗退・・・またまた流浪の身となってしまいます。

しかも、この時に義兄弟である関羽が捕らえられてしまいます・・・

劉備は袁紹の元へ、身を寄せることとなります。

 

関羽は前回ご紹介した「官渡の戦い」で曹操軍の一員として大活躍を見せます。

官渡の戦いは曹操軍が勝利をおさめます。

曹操は、袁紹が支配していた地域を抑え、大勢力を築くこととなります。

 

一方の劉備は身を寄せた袁紹が負けてしまったため、またまた流浪の身となってしまいます・・・

次は、荊州の劉表の元に身を寄せることになります。

 

ここまでは曹操と劉備の視点から見てきました。

 

次回は呉の視点(孫堅・孫策・孫権)からこの時代を見ていこうと思います。